気づいたらこの仕事してる!そう思うことってありませんか?
子どもの頃からの夢があったり、なりたいものがあって必要な勉強をしたり、学校に通ったりという人もいるだろうけど、思い通りの仕事に就くって難しいですよね。
こんな仕事がしたいと会社に入ってみたら、現実は違っていたとか、職場の雰囲気が悪かったり、上司に恵まれなかったりということも多いはず。
将来や家族のために、収入のいいところに転職を考えたり、給料が不満で辞めたり、仕事の内容どころじゃないなんてことだってあります。
僕は56歳で長年勤めた会社を辞めました。
今はまったく違う仕事をしているわけですが、これやりたいことだからと選んだんではなく、食べていくためにやれることはやっていたら、「気づいたらこの仕事をしていた」わけなのです。
「やりがいや生きがい」を求めてなくてもいいんじゃない!
僕は母親にものすごく感謝しています。
母が大学への進学を進めてくれなかったらめちゃくちゃな人生になっていたでしょうね。
中学のとき、突然、「勉強なんてする必要がない。」と勝手に思いこんで、それからまったく勉強をしませんでした。
野球をやっていたおかげで、高校には推薦入学で入ることができたけど、漠然と「高校卒業したら専門学校にでも行くか」ぐらいにしか考えていませんでした。
そこに待ったをかけたのが母でした。
「お前は大学に行って、広く世間を見た方がいい」と説得されました。しかし、受験したものの当然のごとく落ちて浪人生になりました。
ろくに勉強もしない浪人時代でしたが、翌年、奇跡が起きました。
滑り込みで大学に合格したのです。
こんな調子だから、大学生になってもバイトとバンドに明け暮れ、単位ギリギリで卒業。
就職活動は面接が怖くて、受けたのはたったの3社。
大学の先輩に、面接のコツを伝授してもらい、先輩がいた会社を受けてなんとか就職できたという次第。
就職した会社は広告会社です。
なんかおもしろそうだからというだけで、やりがいとか待遇とか給料とかもよく考えずに「決まってラッキー」という感じでした。
全く使いものにならない僕でしたが、3年目あたりからお客さんに恵まれるようになってきて、いつのまにか社会に溶け込んでいたのでした。
気づけば30年以上もそこで働いて、それなりの役職になっていました。
働く環境は大きく変わりました。
僕が就職したときは日本はバブルに浮かれていました。
週末はディスコに行ったり、冬はスキーをしたり、金のかかる遊びをして、とにかく平和でお気楽な時代。懐かしいなぁ。。。
入社した会社は、中小企業ですが、全国各地に支店があり、毎年50人以上の新卒を採用していました。辞める分も見込んで採用していたとしか思えません。
平均年齢28歳の若い会社で、売上目標は毎年20%増。研修や懇談会も手厚く、1年に1度500名の社員を一堂に集めて社員旅行なんかもしていました。
しかし、入社5年目のとき、バブルがはじけます。
それでも「売上を上げろ」という至上命令と市場縮小により、徐々に過酷さが増していきます。
2008年のリーマンショックによって、さらに過酷さはバージョンアップします。
インターネットの普及によって仕事は楽になるどころか、スピードを求められ加速していきます。誰もが必死に過酷さにたえ、振り落とされないように踏ん張っていましたが、ひとりまたひとりと脱落していきました。
だんだん人が辞めても何も感じなくなってきます。
売上のため、新規開拓を繰り返し、歳をとったらとったで、VIPを担当させられ、とってきた仕事を回すために夜中まで働きました。
そして僕はとうとうクラッシュして会社を辞めます。
辞めたあと「働き方改革」がやってきて、職場環境は変わったようですが、僕がいた会社は長時間労働はなくなったようですが、相変わらず売上のプレッシャーは続いているようです。
いまは、あのとき、クラッシュしてよかったと思っています。定年まで耐えて、運よく雇用延長になったとしても給料4割減で過酷な労働を続けていなければならなかったでしょうし、そこから仕事を探してもろくな仕事はなかったでしょうから。
自分探しをしたかったわけでなく、収入がほしかった
56歳のときに、しんどくて会社を辞めましたが、特段なにをしたかったわけでもなかったので、なにかできることを探しました。
健康オタクの僕は、ヨガのインストラクターになろうと、スクールに通いRYT200を取得。カルチャーセンターで教室を開講できるかというところまではいったのですが、コロナ禍によってすべて中止、その道は途絶えてしまいます。
次にファイナンシャルプランナーの資格をとって、仕事を始めようとしましたが、経験のない僕にとって現実は厳しいものでした。
そんなとき、会社時代のお客様に声をかけてもらって、広告の仕事でわずかながら収入をえることができました。
ときを同じくして、知人から自習室を手伝ってくれと頼まれ、管理人のような仕事をして定期収入が入るようになりました。
野心家であれば、事業を拡大しようと考えるでしょうが、広告は決まってなんぼの世界で意欲がなければ事業を拡げられません。
僕は「歳だからなぁ」と少ないながら日銭の入る地味な自習室を選びました。
計画書を作って、銀行からお金を借りて、古いビルの一角で自習室を始めました。
収入がなければ、やりたいことも買うことも、食べたいものも食べれないということに遅まきながら気づいて、そこから抜け出すことだけで必死でした。
会社を辞めてから、就職活動をしてみたり、資格をとってみたり、ひとにアドバイスしてもらったり、いろいろやってみたけれど、結局やりたいことは見つからなかった。
仕事って誰かの問題や課題を解決することだ教えられて、この世界で役に立てることはないかと探しましたが、たいていのことは誰かがすでに始めています。
たどりついたところが、自習室の管理人という地味な仕事です。
なかなか軌道に乗らず苦しんだ時期もありましたが、おかげさまでなんとか生活ができるところまできました。
たまの休みには妻とおいしいものを食べにいくことができる、そんなささやかなしあわせが財産だと思います。
こんな感じで、夢とかやりがいとかがなくても、ただ収入がほしかった。
「気づいたらこの仕事してる」でもいいんじゃない?
仕事があるってことがしあわせだと思うこのごろなのです。
