60歳を過ぎても考えることをやめない生き方

60歳を過ぎても考えることをやめない生き方

ブログを書くことは、考える習慣を養うことでもあります。

「書けないんじゃない、考えてないだけ。」とブロガーのかんそうさんは言っています。

「全ての文章は『本気出して考えた時間』で決まる」とも言っていますが、本気さが足りないのか!?と悩んでしまうほど、文章にすることがこんなに難しいことだったのか?と改めて感じるこのごろ。

目次

自由に書くことのむずしさ

サラリーマンだったころ、メールを送るとか、稟議書や週報を書くとか、結構文章は書いてきたつもりでしたが、伝える相手や伝える目的が決まっていたからか、それほど難しく感じたことはありませんでした。

しかし「いざ書こう!」とパソコンに向かうと、これがなかなか進まないものです。

だからと言って、書くことをやめたらダメなような気がします。何かを考え、深く思考することが老いぼれた脳みそには必要なんです。

若い頃、時々日記をつけてましたが、見返すと、そのときどきの苦悩が滲んでいます。

文章のなかに、書き殴った文字のなかに、いたるところに自分だけが感じられる体温のようなものが確かにあります。

ブログってそんなものでもいいのかも知れない。
そう思いながら記事を積み上げることにしました。

セカンドライフは自分軸で

歳をとると社会とのつながりがグンと減ってしまいますよね。

僕は人から影響を受けやすいタチで、人に会うことが逆にストレスになってしまうことがあるので、ちょうどいいやと思っていますが、交友関係がグッとせばまって、煩わしかった飲み会さえも今となっては懐かしいです。

誰かの心配事を本気で考えたり、しばらく経ってから会話を思い出したり、あの人どうしたんだろうなとか余計なことを考えます。

最適な答えが見つかったときには、その人に伝えたくなるというお節介な性格が自分でもイヤになるのです。

僕は個人事業主で小さい店を妻とふたりで切り盛りしています。
なんとか生活できる程度なので、人を雇うこともできず休みもほとんどない。

でも妻とは毎日共通の話題があるし、小さい店ながらそれなりに考えなくてはならないこともあります。

たまの休みに程よい贅沢をするぐらいが無理がなくてちょうどいいのです。

共通の話題があって、同じ人生の目標に向かって歩いている感覚もあります
自分たちのことだけを考えながら過ごせることってしあわせだなぁ、と思います。

サラリーマン時代は繰り返し考えることで疲れ果てていました。これは病気かっ!と思うぐらい。退職したあともしばらくそれに苦しみました。

歯を磨いているとき、風呂に入っているとき、道を歩いているとき、打ち合わせや人との会話を繰り返し思い出し、こう返せばよかったのかと考えているんですね。

ときには後悔の念に囚われ反芻して、しばらく暗い気持ちで過ごすこともありました。

いまはそういうことがなくなって、精神状態も至って良好なのですが、何かを伝えると言う行為は続けた方がいいと思うのです。

60代の現実

僕は56歳でサラリーマンを辞め、2年ぐらい仕事もせずにフラフラしていました。

50代の転職は厳しく、求人は少ないし給料も安い。面接に辿り着いても「あと数年で定年だよ」などと言われる始末。

コロナ禍によって生活は一変し、慌てて事業を始めたものの身体が痩せ細るほどの不安にさいなまれることになります。

このまま上向きにならず、つぶれていくのかと眠れない日が続いたのです。

それを経て今があるから、立ち止まることがどれだけ恐ろしいか身に染みてわかっているつもりです。

同年代の友人がいまそれを味わっています。
50代後半の独立は、ちょっと遅すぎたかなと思うこともあるのですが、僕は56歳でセカンドライフを選んだことは間違っていなかったと思っています。

昔の日本だったら、定年を迎えるころには、それなりの役職がついて、部下がたくさんいて、花束をもらいながら、会社を去ったものです。

今は違います。

50代になると給料は頭打ち、よっぽどやり手でなければ窓際に追いやられ、定年になると雇用延長で会社にしがみつき、給料は40%減で現役と変わらぬ業務に擦り切れる、日々文句を言って過ごすという現実です。

まだまだやれる!そう思っているのは自分だけだったりするわけです。

歳をとったものを柔軟に使いこなせるほど、ほとんどの日本企業は成熟していません。
ロバート・デ・ニーロ主演の映画「マイ・インターン」は夢のような物語です。

父の晩年と僕の晩年

僕の父は晩年、俳句を書き溜めていました。
俳句の会に入って、先生からノルマを与えられ、変化のない日常の中から題材を見つけては詠んでいたのです。

句会の冊子が残っていて、見返してみると、母や子どもたち、孫へ向けられた父の優しい眼差しが感じられて、なかなかいいものです。

父はボケてしまったけれど、ボケる前の父は人生を楽しんでいたし、この世界を自分なりの視点であざやかに見つめていたのでしょうね。

今の僕は、友人も少ないし、何か特別な趣味があるわけでもない。

だからこそ、自分なりにブログを書くことが大切なんじゃないかな、と思うのです。老いた脳みそをフル回転させて、ささやかな日常に書くことを発見する。

60歳を過ぎても考えることをやめないでいたい。これでいいのだ!と思っています。

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