荒木飛呂彦氏の『荒木飛呂彦の漫画術』を読んだ。
漫画は「絵」という最強のツールが統括し、「言葉」がそれを補っている。その奥で「キャラクター」「ストーリー」「世界観」「テーマ」が存在していると言う。
このなかで最も大切なのは「主人公のキャラ」。
キャラクターを決めていくうえで、「何をしたい人なのか」という、動機が一番大事だ。
たとえば、「強くなりたい」という動機を「なんのために強くなりたいか?」「強くなって何をしたいのか?」といった形で掘り下げていき、そこに弱点や欠点、人間的な欲望も加味していくというのだ。
よい動機は、読者の興味、共感を得ることができる。
この主人公は一体どうなるんだろう、何をする人なんだろうと気になり、先を読みたくなってしまうというわけだ。
さて、ブログを書くにあたってもキャラ作りは重要かもしれない、と考えた。 多くの読者を集め共感してもらうのは漫画とも共通している。
ハウツーなことを書いてみたり、書評に取り組んでみたり、映画を観た感想を書いてみたりしたけど、ぼくのブログには「何をしたい人?」というところがすっぽり抜け落ちているのだ。
かと言って、60年間、個性がなく薄く生きてきたぼくは、 いまさら強い個性が出せるわけもない。
こういうことはいろんなところに現れていて
独立して個人事業主になったときも
「何をしたい人?」が抜け落ちていて
主張しなくてもそのうち依頼が来るだろうと安易に考えていた。
あれもこれもびっちり埋めた名刺に抵抗があり
実にシンプルなものにしたけど、やっぱり「何屋さん?」という名詞なのだ。
個性的だと好き嫌いが分かれやすいが
こと仕事においては個性がなければ頼みたくても頼めない。
そのことに気づかずにいたのだ。
それではブログではどうかと言えば、やっぱり「何のブログ?」という域を脱しない。
なぜ、ブログに取り組むのだろうか。
たいして文章がうまいわけでもなく、人に自慢できる趣味やこだわりもない。
それでも書きたいと思うのはなぜか?
ブログでお金を稼げるようになりたい!これが率直な動機だ。
しかし、特に目立ちたいわけではなく、有名になりたいわけでもない。
億万長者になろうとも、贅沢な暮らしをしたいわけでもない。
人と連携して仕事をするのが苦手なぼくは、ひとりで黙々とやって稼げる仕事に憧れている。
現に生活を支えている仕事は、ひとりで黙々やるような仕事だ。それが好きなのだ。
お金を稼ぎたい、という根底に
豊かに暮らしたいという動機がある。
それは高級外車を乗り回したり、高級なレストランに行ったりとかいうものではなく
みすぼらしくない程度の不自由のない生活だ。
お金がないと心まで貧しくなってしまうから、そうならない程度でいたい。
そのために、書いてブログにアップする。
それが豊かな生活を実現できることなのかはわからない。
書かなけりゃ、何も生まれないのは明白だし
書いてさえいれば何かが変わるかもしれないと少々の希望が持てる。
希望を持ちたくて書いているのか?
願わくば早くそういう時期を卒業したいとも思っている。
結局のところぼくは〝自分の豊かさ“を見つけたくて書いているのかも知れない。